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from 2009/11/1
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「楷の木」の歴史

今から2500年前、儒学の祖、孔子(紀元前552?479)は、多くの子弟に見守られながら世を去り、山東省曲阜の泗水のほとりに埋葬された。門人たちは3年間の喪に服した後、墓所のまわりに中国全土から集めた美しい木々を植えました。今も残る70万坪の孔林です。
孔子十哲と称された弟子の中で最も師を尊敬してやまなかった子貢は、さらに3年、小さな庵にとどまって塚をつくり、「楷の木」を植えてその地を離れました。この「楷の木」が世代を超えて受け継がれ、育った大樹は「子貢手植えの楷」として今も孔子の墓所に、強く美しい姿をとどめています。
 その後、「楷の木」は科拳(中国の隋の時代から清の時代までの官僚登用試験)の合格祈願木となり、歴代の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから「学問の木」とも言われるようになりました。合格祈願木とされたのは、科拳の合格者に「楷」で作った笏(しゃく・こつ)を与えて名誉を称えたからだと考えられています。
 日本に初めて移入されたのは、大正4年でした。当時、農商務省林業試験場の初代場長であった白沢保美博士が中国を訪れ、孔子の墓所から「楷の木」の種を採取し、育苗されました。その後、大正14年に日本国内の孔子や儒学にゆかりのある学校(湯島聖堂3本(雄)、足利学校1本、閑谷学校2本(雌)、多久聖廟1本(雄)などに寄贈されたのが最初です。
 「楷」は中国では模範の木とされており、日本においても書体の「楷書」の語源とされています。
2013-06-13